私の自己紹介4回目になります。
今回は私が中学校の教員で1年目だったときのお話をしたいと思います。
今回の話は私が働き始めて1年目のとき、つまり初任者のときの話です。
卒業してすぐのことだったので、社会人1年目のギャップというものがあったとは思いますが、それでも教職経験10年の中でこの1年目が一番辛かったです。
これから教師を目指す方、現役教師の方のご参考になればと思います。
大学進学後
私は教育系の国立大学に進学しました。入学できたのは、まぐれです。
本来は、私立の理系学科に進学したかったのですが、たまたま国立大学にも全く同じ学科があったのでそちらを受けてみようと思いました。
理由は単に学費が安いから。4年間の学費を考えると国立大学では200万円ぐらい安くなります。
ただ、センター試験も6割程度しか取れていませんでしたので、ダメ元で受験することになり、多分2次試験で高得点を取って逆転できたのだと思います。
そして何とか合格することができました。
大学に入ってからは、とにかく色々なバイトに明け暮れていました。
最初は教師になるつもりはなかったのですが、周りが教師を目指す友人が多いことや塾・家庭教師のバイトをやっていたこともあり、だんだん教員になりたい意欲が高まっていました。
教員採用試験を受けるときは、一応デモシカ教師ではありませんので・・・
そして、中学校の教員採用試験に一発合格!すごく喜んだことを覚えています。が、その気持ちは一瞬にして消えました。
それは私にとって苦痛な日々の幕開けだったからです。
初任校での話
まず、驚いたのが赴任先の市町村です。
自分が住んでいる県であるにもかかわらず、聞いたことがありませんでした。私が無知なだけですが・・・
それだけ田舎町だったので、「生徒も落ち着いているんだろうな」と安心して市の教育委員会に行きました。
そして辞令をいただいて、いよいよ中学校へ向かうことになりました。
春季休業日中の仕事
最初はまだ4月だったので、会議だらけで、とにかく眠たくて全く面白くなかったことを覚えています。
塾のバイトなら採用されてすぐに授業案を考えたり、早い時は初日から授業だったりしたので、「こんなに話し合う必要があるのかな?」と思いながら過ごしていました。
私は最初の1年目は3年生でしたが副担任だったので、余計会議の内容の重要性が理解できなかったのだと思います。
そして4月8日、生徒が登校してくると、驚きの連続でした。
1学期がスタート
髪の毛を染めている生徒は多いし、服装もだらしない、中には短ランや長ランを着ている生徒もいました。短ランや長ランなんて、今では天然記念物的な存在ですよね。
もちろん、授業も大変。私語や立ち歩きは当たり前で、急に教室を抜け出す生徒もいて、尋常ではない光景でした。
これが現実なのか?教育実習に行った学校とは大違い・・・
それは単に私が初任者だからではなく、ベテランの先生方の授業でも同じ状態です。つまり、指導がしきれていない学校でした。
他にも校則違反はたくさんあり、注意しても指導が入らない状況です。
さらに放課後には2日に1度ぐらいのペースで地域から苦情の電話。
「〇〇でおたくの生徒がたまっているので追い払ってほしい。」
若手だったので、嫌々ながらも一番に乗り込んでいき、話をする、反発してくる、それでも引かずに話す、やっと散る、このくり返しです。
途中から、「学校じゃなくて警察に通報してほしい。もういい加減にして。」と思うようになったのを覚えています。
この指導にだいたい1時間ですよ!?
放課後は部活動に行ったり教材研究したりするのに時間を割きたいのに、一部の生徒のせいで本当に無駄な時間を取られていました。
この時ばかりは会議に対して感謝していました。会議中は管理職の先生が対応しなければならないからです。
申し訳ない気持ちと、ラッキーという気持ちが混在していました・・・
ただ、そのせいで帰宅時間はいつも21時、22時。くたくたの毎日が続いていました。
部活は本当にブラック?
部活動も大変です。私はたまたま自分の得意分野の部活動を担当する事ができましたが、そうでない先生はかなりきついと思います。
特に力を入れている部活動は放課後だけでなく、土曜日も日曜日も一日中練習しますので、休みがほとんどありません。
しかも部活動の特別手当は当時2000円。これはかなり低い水準で、1日中活動したとしても本当にこれだけしか貰えません。
例えば、遠征などで遠くへ行った時の交通費は別で貰うことができないのです。
交通費のみを請求するか、特別手当を請求するかのどちらかなので、普通は特別手当の方を請求します。
いくらなんでも遠征の交通費で2000円を超えることはないですからね。
もちろん昼食代等を貰うこともないので、片道800円程の遠い所へ遠征に行けば、食費と交通費で赤字になります。
ありえないです。一日拘束されて、赤字、しかも次の日は普通に授業、帰宅時間は遅い。
体調を崩す人が多くなるのは仕方ないと思います。
ただ、楽しい面というかストレス解消になる面もあります。
自分が専門としている部活動を顧問として持つことができれば、一緒にプレーしたり、応援したりして熱くなる場面というのも無くはないです。
当たり外れはあると思いますが・・・
でも、私は以上の理由から部活動はそのほとんどがブラック部活だと思っています。
そして、毎日の指導や部活指導を何とかこなしながら、1学期を終えることができました。
夏季休業日中の仕事
夏休みは本当に楽です。これが体力的な面、精神的な面では教員にとっての一番のメリットかもしれません。
普段の仕事のように毎日の教材研究や会議もありませんし、ほぼ部活動だけに時間を費やすことができます。通報はたまにありましたが・・・
それでも8時30分に出勤して17時に退社ができ、しかも普段取れない分の年休や時間休が非常に取りやすく、自分のために多くの時間を使うことができました。
夏休みの後半になれば、2学期の教材の準備や会議等もあって慌ただしくなってきます。それでも17時退社は変わらず、定時で帰れるのは本当に幸せでした。
でもそれと同時にだんだんと近づいてくる2学期に対して、焦りや不安は出てきます。
2学期から始まった苦痛
夏休み中に聞かされた話で、2学期から担当している授業に別の先生が入って、TT(チームティーチング)の形に変わることが分かりました。
TTとは1つの授業に2人の先生が対応するものですが、一人がメインで教えて、もう一人はサブで分からない生徒の指導をする形が一般的です。
しかし、ここで最悪の展開が待っていました。
TTは私がメインで、サブのもう一人の先生は大ベテランの先生でした。毎時間ベテランの先生に授業を見られるだけなら自分のスキルアップにも繋がるし、頑張ろうという気持ちが持てたのですが、その先生は別でした。
何と、授業中に前まで来て、「ここの板書の仕方が違う」、はたまた生徒に向かって「この説明でみんな理解できた?」というのです。
生徒の前で私が指導されている状況、もう立場がありません。
もちろん、授業が終わってからも説教は続きます。先生は1年目から先生と呼ばれるので、全員初任者からプロ意識を持って指導に当たらなければなりません。ですが、いくらなんでも1年目の私が何十年も経験のあるベテランの先生の指導通りにこなすことは無理があります。
例えば授業が終わってからアドバイスをしてくれるとか、ベテランの先生の板書ノートを見せてくれるとか色々やり方はあったと思いますが、その先生は違いました。
生徒の前で私を指導することによっていい気分にでもなっていたのでしょうか。本当に毎日が辛かったです。これが3学期終了まで続くという地獄の状況でした。
卒業式とその後
何とか毎日の業務をこなしていき、卒業式の日が近づいてきました。もちろん、卒業式が終わればこの辛さも終わりというわけではありません。まだまだ、生徒指導が必要な生徒はたくさんいます。
下の学年ですが、上には上がいます。
それでも、卒業という大きな行事で何とか1区切りつけたいという気持ちが大きかったです。
しかし、私の気持ちとは反対に一部の生徒たちは急に変わり出しました。いつも生徒指導が必要だった生徒で急に大人しくなったり、逆に後輩を指導したりする生徒もいました。
最後の最後ぐらい気持ち良く卒業したい、有終の美を飾って終わりたい。みたいな気持ちがあったのでしょうか?
その状態で卒業式を迎え、無事卒業していきました。
初任の卒業式での感動はほとんどなかったです。副担任だったというのもあったと思いますが。
卒業式といえば、その感動のせいで今までやってきた行いが全て清算されるようなイメージがあります。
あれだけ好き放題遊んで、授業も妨害して、迷惑をかけて、卒業したらいい思い出だった?私はこの清算されることに納得がいきませんでした。
もちろん大多数の生徒はそれに当てはまりませんので、全てがそうとは言い切れません。私もこの後に担任を持ったとき、生徒が卒業することに号泣したこともあります。
あくまで1年目で副担任だったときの話です。
さいごに
教員1年目は本当に大変でした。
本当に定年まで続けることができるのかなと思っていました。実際私は引退してしまいましたが、特に1年目は、今すぐ辞めたいと思う気持ちが強かったことを覚えています。
でもこの1年目で授業力や生徒指導力だけでなく、精神面でも色々鍛えていただいたと今では感謝しています。
私が教員1年目だったときの内容を思ったままに書かせていただきました。もちろん私が体験した内容が全てではありませんし、少数派だとは思っています。
一般企業と比べるとこれぐらい当たり前!と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、社会人1年目の私にとっては「これが仕事」とは思えませんでした。
教員時代の話、少しでも共感していただいたり、参考になったりすれば嬉しいです。
また、今後教員時代の話を記事にしていくつもりですので、よろしくお願いします。
拙い文章で読みにくい部分もあると思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。